デジタルサイネージの歴史
1970年に日本でVHSのビデオデッキが登場しました。
当時、テレビはあらかじめ決まっている時間に予定された番組を見るという概念でしたが、ビデオデッキの登場により、自分の見たいタイミングでコンテンツを楽しめるという文化を生み出し、テレビを見る概念が変わった!というところから始まっています。
ビデオデッキは録画できてダビングもできることから、ヒントを得て、小売店が店の店頭でテレビとビデオデッキを設置して、コマーシャルを流したり、アイディアを駆使して集客につなげていました。
1980年~2000年くらいになると、パソコンを使ったデジタル化が進み、オフィスにもパソコンが当たり前の時代に突入しました。それに伴い、印刷業界もDTPが主流になり印刷物も電子データで作成出来るようになりました。
デジタルサイネージの構想が本格的に始まったのもちょうどこの頃になります。
最初は「ポスターや看板」のデジタルデータを紙やPOPとして扱うのではなく、テレビを使ってそのままデジタルデータを出す!という発想から始まりました。
そのコンテンツを表示させるまでのシステムのことを「デジタルサイネージ」という言葉で表していました。当時は、「電光掲示板」というLEDで文字のみを表現する仕組みがあったので、それとの差別化として使われていました。
もともとは紙やポスターを張り替える手間がいらない!という事で、USBメモリからデータを更新すれば、印刷しなくてもポスターや看板が成立してしまうので、広告業界が新しい手法として色々提案していましたね。
ただ、そのポスターや紙が自分の近くにあり、数が少なければ良いのですが、数が多くて遠方にある場合は張替の手間でなく、デリバリーの手間もあったため、インターネットを返して更新できる仕組みとして、CMS(コンテンツ マネジメント システム)が開発され、そのデータを遠隔で受け取るためにテレビの後ろにシステムが入ったパソコンを設置するという方法が生まれました。
当時はパソコンが大きく、また常時ONにしておくことが出来なかったため、パソコンの機能をそぎ落として、小型化し、長時間使えるデジタルサイネージ専用としたものが「STB」と言われるようになりました。
山手線の車両に「トレインチャンネル」が導入されはじめたのもちょうど2002年ですね。
ただ、この頃まだテレビもシステムも今では考えられないような金額だったので、目新しいデジタルサイネージはそれこそお金持ちの企業した手が出せなかった時代でした。
ちょうどこのタイミング2003年からテレビがアナログ放送からデジタル放送(地デジ)に変わり、薄型テレビが一般家庭から公共施設などへの導入がどんどん加速していきました。
これに伴い、テレビ、業務用ディスプレイも価格が落ち着き、ようやくデジタルサイネージの導入も徐々に浸透していきました。
2013年にTokyoオリンピック2020開催が決まり、本格的に看板やポスターの「デジタルサイネージ化」が進みます。このタイミングでシステムの加速化とコンテンツの進化がどんどん成長していき、インタラクティブ系のサイネージや、プロジェクションマッピングが話題になるなど、空間演出のジャンルにまでデジタルサイネージが活躍するようになってきました。
いまでは誰もが知っているワードとなった「デジタルサイネージ」ですが、今後も人々の課題解決には必要不可欠な存在であることは間違いありません。